これも時々Twitterでつぶやいていることですけど、大学の講義科目は「その場」でなければ体験できないライブセッションにしなければといつも思っています。そこで今年度から本格的に始めたのが、指定のハッシュタグで学生にツイートしてもらった質問やコメントをサブのスクリーンに映して進める授業。
メインのスクリーンは授業用スライドなのでプロジェクタ2台使用というハードなスタイル。このためにプロジェクタを1台追加で持ち込み、サブのスクリーンを授業前に組み立てます。
なぜこんなことをするかというと、文系の大学教員は対面でなければできないことを授業で展開すべきといつも考えているからです。なので、テープレコーダー(もう死語ですね)を毎年再生するだけのようなスタイルは淘汰されるべきだと思っています。授業ノートからパソコンのプレゼンという時代になりましたが、これは一つ間違えると「万年ノートの電子版」です。
大学の講義科目は毎年同じことを一方的に話しているだけだから問題だ、という指摘はよく耳にします。特に文系学部だと、理工系のように新しい知見へのアップデートが少ないから問題とは聞きます。こんな講義を開講しても労働集約型でムダばかりだから、私大では1科目数百人というマスプロ授業化が進むし、うちのような国立大でもアクティブラーニングによる改善とか、さらにはeラーニング化(録画授業化)も視野に入れたような話が出てきます。
最近ではMOOCsのようにネット上で大学教育を完結させられるじゃないかなんて発想もあるわけで、サンデルのような名物教員を高給で短期間雇って授業を録画し、何十年も使い回してコスト削減と教育の質向上を両立!なんてことになっても不思議ではありません。録画を見れば大丈夫な講義を最適化するなら、並の教員に毎年授業させるよりも名人に最高の授業をさせて録画し毎年学生に見せる(その科目にはせいぜいTAしかつけない)ということになるでしょう。これは、予備校のサテライト授業と同じこと。
これではいけないと痛感し、最初に始めたのが期末レポートの複数回化と全員へのコメント。自分なりの問題を発見し、解決方法を考え、実際に解決する能力を身につけるのが人文系の学生にとって不可欠と考えたからです。当然かなりの手間がかかるのですが、受講した学生からは好評でした。
この背景には、授業は聞いているが卒論が書けないという学生が多くなってきたのがあります。大学教員からすると、講義中に寝たりまして私語なんてせずじっと聞き入ってノートテイクする学生が一見「いい学生」に見えます。しかし、実際に学生がしているのは、講義にただなんとなく来てテスト前日に(時に友人や先輩から借りた)ノートを一夜漬けで暗記し、テストが終わったらきれいさっぱり忘れてしまうという繰り返しでした。学生の側も、「試験に出るから覚えないといけないところだけ明確に説明し、覚えなくていい余計なことは言わないでください」なんて要求してくるものです。「知識」なんてネット検索すればいい時代だから、暗記よりも知識を運用する問題設定・解決能力の方が重要なはずなのに。
それでも、ただ講義に来てぼやっと聞くだけという学生はなくなりません。別に大学の授業として教室でする必要性はやはり薄いのです。そこで考えたのが、講義のインタラクティブ化。普通なら学生に当てながら授業を進めたり質問をしてもらったりするのですが、当てると困るという学生もいるし(発達障害などでパニックになって無理ということもあります)、実際に授業中にうまく質問をしてくれる学生なんてまずいないわけです(授業には流れというのがあるので、それを遮るのは教員も学生も避けたくなるものです)。
そんな中で試そうと思ったのがTwitterでハッシュタグを付けてコメントや質問を流してもらうことでした。これなら、講義の流れの中でベストな時にレスポンスできるし、学生も聞いていいか自信のないことが聞きやすくなります。単なる感想や思いつきに見えても、授業の中で非常に重要なポイントを突いたツイートもよく出ますし、時には予期しない面白い展開もする「ライブセッション」になってきた気がします。
あと、このスタイルは学生も私も頭をフル回転させることになります。学生はツイートしようとすれば講義を能動的に(アグレッシブに)聞くことになりますし、パソコン持込推奨なのでその場ですぐ調べて補足コメントしてくれたりもします(私が教えられることも非常に多いです)。私もサブスクリーンに映したタイムラインを見てリアルタイムで展開を変えていきます。単にスライドを見せながら話すのと比べて頭の回転数は段違いなので、とても疲れますが…
もちろん課題もあって、受講する学生にはずいぶん拡散した捉えにくい話になってしまいます。特に、応用的なテーマにも展開するので、どこまで理解しなければならないかがわかりにくい(全員が理解しなければならないわけでもない難しい話題が出たときにそれが分からない学生が困る)ようです。しかし、「○○を説明するので覚えなさい」という科目ではないですし受講する学生にも所属や能力の差が当然ありますから、本人が理解できた分だけ身になればそれでいいと考えています。